想像力の欠如
「市場にミサイル撃ち込まれて激怒するイラク市民」に、それは自分たちの受けるべき責任の一つと言いたい。アメリカの奴隷となるか、それとも戦うかの選択を迫られたとき、"戦う"という選択肢を選ぶ者を首長にしているのだから。かつての大日本帝国ではないけれど、原爆を落とされた責任は、広島市民にも少なからずある。それは紛れもない事実。
で、「想像力の欠如」と題した意味だけど、フセインは戦争が始まる前に、米英への警告として「テロ」の危険性を伝えた。「テロ」が意味するところの一つは、市民への攻撃も辞さないというコト。自国の市民の被害を嘆くことは出来ても、他国の市民の被害を想像できない。別にイラク市民に限ったことはでないけれど(おそらく、アメリカでの同時多発テロが起きた時、涙を流して悲しんだイラク市民も多かったでせう)、想像力の欠如が招く悲劇の連鎖は最小限にしてもらいたいモンです。
で、僕の直面する最大の悲劇は、メインパソの調子が悪いことだす(爆)。再起動もセーフモードもシステムの復元も役立たないまま、ネットに接続できなかったり(このメッセージはサブパソで書いてます)、CPUの使用率が100%だったり。はうう。
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