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2005.01.28

「広島大仏」を探せ!ってゆうか、探してちょ(^^;)

 小生、本屋での立ち読みが趣味なのですが、そのせいか、時々(ってゆうか、しょっちゅう)ムダなモノを買ってしまうことがあります。

 今回のムダ使いは、塔文社のレトロマップシリーズ「昭和27年の広島と現在の広島」です。読んで字のごとくのブツなのですが、たんにレトロマップ1枚の値段としては、1800円+税ってのは高いやも、とか思ったり。いえ、現在の広島の地図も付いてますし、地図モノってのは高いってのは分かりますが。
 ついでに「昭和19年の鉄道路線図と現在の鉄道路線図」ってのも買っちゃってるから、僕の中で余計に割高感が増幅されちゃってたり(爆)。

塔文社のレトロマップシリーズ:
昭和19年の鉄道路線図と現在の鉄道路線図
昭和19年の世界地図と現在の世界地図
昭和39年の北九州と現在の北九州
昭和と平成の神奈川県昭和から平成の移り変わり

 広島のレトロマップですが、見てて面白いのはたしか。実際に地図に「マッカーサー道路」とか「光飛行場跡」とか、名称しか聞いたことの無いモノが書き込まれてるのを見るのは不思議なカンジです。たんに現在の地図との違いだけでなく、道路やら市電やら橋やらの"計画倒れしたっぽいトコ"を見つけるのも楽しみ方でしょうか(笑)。
 で、裏には当時のバス系統図やら人口などのデータと共に観光施設などの一覧もありました。その中に、なんと「広島大仏」(細工町)なる記述を発見(^^;)!
 早速、googleで検索したのですが、2005年1月28日時点では2件しかヒットせず。そのうち、この「広島大仏」についてのページは1件のみ。しかも、すでに元のページは無くて、googleのキャッシュとしてしか残っていません。

 Internet Archive: Wayback Machineで検索してみるも、ページは見れず。どうやら2003年のうちに閉鎖してしまったサイトのようです。写真か何かを販売していたサイトなのでしょうか?

 キャッシュに残っていたデータを引用させて頂きます。

阿弥陀如来坐像(広島大仏)
鎌倉時代
(H)2m80cm
木造金箔
原爆投下後の爆心地の本尊で全身総金箔の巨大な仏像で、昭和24年(1949)から昭和30年(1955)まで6年間で数100万人の人が礼拝した尊像で当時(1949)の各新聞・書籍等に写真と記事が多数掲載されている

 詳しいことは分かりませんが、鎌倉時代に作られた仏像ということでよろしいのしょうか? 細工町は現在は存在しない爆心地の町ですよね(中国新聞 ヒロシマの記録-細工町地図)。
 前述のページの「広島大仏」についての説明に"原爆投下後の爆心地の本尊で"と書いてありますが、イマイチ意味不明。原爆投下時には、いったいドコにあったんでしょう? "昭和24年(1949)から昭和30年(1955)まで6年間で数100万人の人が礼拝した"とも書いてあります。これは、昭和24年にどこかから細工町に移されて公開されたということなのでしょうか(仏像疎開してたとか?)? んでもって、昭和30年以後は、どこかに移設されたか、火事などで失われるとかしたのでしょうか? 非常に気になります。詳細をご存知の方がいらっしゃれば、ぜひ教えてくださいまし。

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Comments

奈良で見つかったみたいですよ。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110529-OYT1T00817.htm?from=os4

Posted by: | 2011.05.30 at 02:20 PM

発見。
良かったのぅ。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110529-00000817-yom-soci

Posted by: あるふぉんぬ | 2011.05.30 at 03:14 PM

おめでとうございます。広島大仏が無事奈良県のお寺で見つかったそうですね。1950年の建立だとか。何ぶん新しい仏像なので動く足が付いているのかも知れませんね。たぶん東大寺の先輩に会いに行かれたのかも。

Posted by: みろく | 2011.05.30 at 03:35 PM

奈良県安堵(あんど)町の極楽寺にある高さ約4メートルの阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)坐(ざ)像(ぞう)が、戦後、広島市で原爆犠牲者を弔うために原爆ドーム近くの寺に安置され、その後、行方がわからなくなった「広島大仏」とみられることがわかった。

 専門家が、当時の写真と頭部や衣装などの形状が一致すると指摘した。田中全義住職は「半世紀を経て、遠く離れた奈良に仏様が来られたのもご縁」とし、8月6日の原爆忌に、写真を手に広島を訪ねる。

 全身に金箔(きんぱく)を施した木製で、制作時期は不明。顔などは後に修理したとみられる。鎌倉大仏と同じく、両手の指で輪を作り、極楽浄土で瞑想(めいそう)する姿を表す「定印(じょういん)」を結んでいる。

 極楽寺は元々、住職のいない寺だったが、2005年に田中住職が入寺した際、知り合いの古物商から阿弥陀如来坐像を譲り受けた。

 その後、田中住職が古書店で、広島大仏が掲載された写真集を見つけ、奈良国立博物館の稲本泰生・企画室長(仏教美術史)らが、胴体に比べ大きく作られた頭部の形や顔の表情、衣のひだの形状などから、同じ仏像と結論づけた。

 広島平和記念資料館(広島市)によると、広島大仏は1950年、広島県内の別の寺から、原爆ドームそばの西蓮(さいれん)寺に移された。当時、歓迎する市民が大仏を車にのせ、パレードし、絵はがきにもなった。55年に別の寺に移され、その後行方がわからなくなっていた。

(2011年5月30日07時35分 読売新聞)

Posted by: | 2011.05.30 at 10:30 PM

すでにご存じかと思いますが。。。

奈良県安堵(あんど)町の極楽寺にある高さ約4メートルの阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)坐(ざ)像(ぞう)が、戦後、広島市で原爆犠牲者を弔うために原爆ドーム近くの寺に安置され、その後、行方がわからなくなった「広島大仏」とみられることがわかった。

 専門家が、当時の写真と頭部や衣装などの形状が一致すると指摘した。田中全義住職は「半世紀を経て、遠く離れた奈良に仏様が来られたのもご縁」とし、8月6日の原爆忌に、写真を手に広島を訪ねる。

 全身に金箔(きんぱく)を施した木製で、制作時期は不明。顔などは後に修理したとみられる。鎌倉大仏と同じく、両手の指で輪を作り、極楽浄土で瞑想(めいそう)する姿を表す「定印(じょういん)」を結んでいる。

 極楽寺は元々、住職のいない寺だったが、2005年に田中住職が入寺した際、知り合いの古物商から阿弥陀如来坐像を譲り受けた。

 その後、田中住職が古書店で、広島大仏が掲載された写真集を見つけ、奈良国立博物館の稲本泰生・企画室長(仏教美術史)らが、胴体に比べ大きく作られた頭部の形や顔の表情、衣のひだの形状などから、同じ仏像と結論づけた。

 広島平和記念資料館(広島市)によると、広島大仏は1950年、広島県内の別の寺から、原爆ドームそばの西蓮(さいれん)寺に移された。当時、歓迎する市民が大仏を車にのせ、パレードし、絵はがきにもなった。55年に別の寺に移され、その後行方がわからなくなっていた。

(2011年5月30日07時35分 読売新聞)

Posted by: 明烏 | 2011.05.30 at 10:33 PM

皆様、情報感謝です。
なんといいますか、ほんとに天から降ってわいたような、突然のニュースでしたね(笑) 。

元は「広島大仏」だったとはいえ、これも何かの縁って奴です。広島に帰ってきて欲しい気持ちもなくはないですが、大仏さんには奈良の地で新たに頑張ってもらいたいところです(^^)。

Posted by: KEI(ブログ主) | 2011.05.31 at 04:27 PM

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Tracked on 2008.10.28 at 10:50 PM

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