「現代韓国茶道」の歴史を勉強中です(笑)2
前回の記事の後に見つけた記事などを補足していきます。
■韓国茶道協会による「朝鮮朝 佳閨会秀茶禮」
■左側の2人がお茶を淹れて、右側のお客さまにお茶をもてなします。
■淹れられたお茶を頂く客人2人。
■感謝の気持ちを墨絵で表します。
■感謝の気持ちを舞を踊って表現します。
前回の記事でもまとめの中に書きましたように、韓国茶道はお茶をたてる際にサポート役がつくツーマンセル。
大会レポートにある写真を見ると、「感謝の気持ちを絵で表」すのは、もてなされた客人の側のようです。
ただ、前回引用した別のページによると、もてなす手法としての「墨蘭図」というのがあるそうなので、まぁ、両方あると解釈しておきましょうか。
「感謝の気持ちを舞を踊って表現します」というのは、大会レポートの写真を見る限りでは、どちら側による踊りかは判然としません。文章の流れからすると、まず間違いなく客人の側だとは思いますが、客の側も踊りのスキルが必要なのでしょうか(^^;)。…まぁ、ここらへんは臨機応変、時により、客によりですかね。
民団新聞|朝鮮朝当時の茶道を再現 東京で国際大会(03.12.03)
朝鮮朝初期の珍しい茶道「桂会閨秀茶禮」が11月29日、都内のホテルで開かれた第7回国際茶道連合大会の席で公開された。これは才芸に優れた女性たち(閨秀)が、お茶を楽しみながら詩情を分かち合うもの。韓国から訪日した社団法人韓国茶道協会(鄭相九会長)のメンバー5人が約1時間近い時間をかけて風流な韓国茶文化の世界を忠実に再現した。
客を迎える主人は香を焚き、花を生ける。奉茶者のもてなしを受けた2人の客は、優雅に茶をたしなむと、それぞれがたっぷり墨を含ませた筆をとって煎茶詩を詠み、ランの花を描く。さらにカヤグムの旋律に合わせて即興舞も披露した。
国際茶道連合大会は韓国、台湾、日本の茶道人の親善交流のため80年代に韓国で開かれたのが始まり。以後、各国・地域の持ち周りで開かれている。今回の東京大会は煎茶道・文人華道清泉幽茗流(古川純香家元)が創立30周年を記念して開いたもの。
韓国のほか台湾の「四序茶会」、日本の「表演一客・一煎」の実演があり、関係者450人が鑑賞した。
(2003.12.03 民団新聞)
前回の記事で引用しページの中にあった「朝鮮朝佳会閏秀茶禮」に似た名前の、「桂会閨秀茶禮」というの出てきます。朝鮮朝初期の珍しい茶道と紹介されています。朝鮮王朝は西暦1392年から1910年とされています。…なにげに、"珍しい"という形容詞が意味深(爆)?
「閨秀」というのは、"才芸に優れた女性たち"だそうです。
なるほど。これを読んで、先に引用したページの内容についての疑問が解けました。
ホスト側も客側も、どちらも才芸に優れているワケです。
・客を迎える主人は香を焚き、花を生ける
・ホスト側だけでなく、主人側も2人
・もてなしを受けた客は、煎茶詩を詠み、ランの花を描き、カヤグムの旋律に合わせて即興舞を披露する
なかなかハイレベルです。
ふつーの韓国茶道と閏秀茶禮は区別せねばならないようです。
僕の記憶違いかもしれませんが、この数週間のうちに、Wikipediaの「茶道」の項の中の韓国茶道についての記述が大幅に更新されているような???
韓国茶禮(韓国茶道) 朝鮮半島には高麗時代に茶が伝わったとされているが、緯度の関係から茶の生産量は限られたものであった。『三国史記』や『三国遺事』に現れる茶に関する記述は、大部分が僧侶にまつわる話であって、当時寺院を中心に喫茶が儀礼と関係して用いられていた様子が窺われる。李氏朝鮮時代には崇儒廃仏により仏教的な文物の多くは破棄されているが、南方の沿岸部などで茶が生産されており、王宮では贈答用の「天池団茶」という固形茶も製造されていた。なお日本による併合後に持ち込まれた茶の品種に対して、DNAの形質から区別される在来種を「韓国野生茶」と呼んでいる。またしばしば記録に登場する高級茶は、中国からの輸入品であったと考えられる。
外国人の記録等に見られる李氏朝鮮の喫茶法には不明な点が多いが、『朝鮮王朝実録』の記録からは中国明王朝の使節を迎える際に、茶を用いた儀礼(茶禮)が行われていた様子が確認される。但しその作法は、明朝の定めたものであった。
茶の国内への供給量がごく限られたものであることから、茶葉を用いた喫茶の習慣は上流階級や一部の寺院のみであった。このため朝鮮半島で「茶」と言う場合は、中国・日本などで言われる「茶」とではなく、木の根などを煎じた薬湯や、果実を湯に浸した物(柚子茶)等を指す場合が多い(韓国伝統茶)。また茶の代用として炒米に湯を注ぐ「こがし」も、日本同様に行われていた。なお李氏朝鮮時代の文献『朝鮮歳時記』には、中国で茶の新芽を意味する「雀舌」が、他の植物の新芽を指している例も見られる。
李氏朝鮮の末期には大興寺の禅僧・草衣が現れ、『東茶頌』『茶神伝』などの著書を遺している。
朝鮮半島の喫茶文化は古い喫茶道具や文献資料の不足から不明な点が多いが、同時代の中国に準じたものであったと見るべきである。また文献資料からは朝鮮半島において「茶道」という言葉が使われている例は確認されず、儀式としての「茶禮(タレ)」に重点が置かれていた。朝鮮半島における「道」の語は通常道教(道家思想)を意味するものであり、仏道修行意図で用いられている日本の「茶道」とは区別する必要がある。
韓国の喫茶文化組織としては以下の団体が挙げられる。
「茗園文化財団」
ソウル市無形文化財 第27号 <宮中茶禮儀式>保有者に認定されている、韓国認定の公式韓国茶禮教育機関。「高麗茶道」
2004年に京都在住の在日韓国人が李朝時代の文献をもとに復元したとされるが、信憑性はない。
起源捏造していると言われている韓国茶道は、Wikipediaの「茶道」の項の最後に書かれている「高麗茶道」に該当しそうです。「茶禮(タレ)」とは別もの?
詳しく解説してくれてるページ、どっかにないかなぁ…。
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