好きだけど嫌いなこと(動物編)
好きだけど、嫌いなのは、動物関連のテレビのドキュメンタリー。
昔の「野生の王国」とかみたいな、ナレーションが入るだけみたいなやつ。
クイズとかみたいに、時々スタジオの映像に戻されてワケ分からん芸能人とかがウダウダしてるようなのは逝ってヨシ。
ともかく、動物のドキュメンタリーは好き。
動物の親子の愛情とか、仲間同士の助け合いとか見てると、涙ぐんじゃいそうになったり実際涙ぐんだりするぐらいには好き。
ただ、同時に、それが"嫌い"でもあったり。
しょせん、人間の視点、倫理観からの"好き"でしかないワケですよ。
あにもーが"人間っぽい愛情"(に裏付けられたような)行動をとると、「ああ、自然ってなんて素晴らしいんだ」と思う、と。
でも、そこで忘れちゃならないのが、それぞれの動物が従っている"倫理規範"(ふさわしくないですが、いちおうここではそう表現しておきます^^;)は、人間とは、たうぜん異なっているということ。
同じような部分もあるかもしれないけど、少なくとも、人間と同じような行動をしたからといって、「ああ、自然ってなんて素晴らしいんだ」などと思うのは、はなはだ見当違いの自己満足なのは間違いないと思うのです。
社会性と農業社会で有名なハキリアリなんて、アシが取れたりして働けなくなった仲間をゴミ捨て場に捨ててしまいます。熱帯魚とか飼ってると分かりますが、相性の悪い魚や強弱のハッキリしてる魚なんかを一緒にしたりすると、同類でもアッサリ殺しちゃいます(もしくは死ぬまでイジメ倒す)。
人間の倫理観とは相容れない部分において、なにかしら優れた点(人間には理解できないにしろ)を彼らは持ってるんじゃないでしょうか。
最近テレビでカッコウの雛が、巣内の卵や雛を巣外に出す様子を放映されることがあるため、『何故市の鳥か?』との声がきかれます。
市議会でも議題に挙がったりする程度には問題になってたようです。他の市町村でも同じような例はあるでしょうかね(動物じゃないですけど、広島市の花でもある夾竹桃とか)。
そもそも動植物を人間がイメージ戦略に使おうなんてのがおこがましいんだから、ガタガタぬかさんとってつかぁさいや☆
『ペットなどに「エサをあげる」ってのはおかしい。「やる」でええやろ』っつーハナシも聞きますが、ペットより人間様が上であると思ってるヒトの間だけでそーゆーハナシはしてもらいたいもんです。
死んだ仲間を内臓からむさぼり喰う熱帯魚達を眺めなら(早く出したれよ^^;)、そんなとりとめの無いことを考えた次第です。
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