[地域防犯]マンパワーの浪費
まるで悪夢を見ているようだ、とはまさにこのこと。
小一女児殺害事件などという大きな事件が立て続けに起こる現実。
どちらかといえば、凶悪事件は年に何件があって当然で、それが今回たまたま続けて起こったに過ぎないと思ってたりするほうなのですが、住んでいる広島での事件でもあるだけに、いたたまれない思いです。
少しでもこのような犯罪を減らすためには、マンパワーの適切な配置が必要だと考えます。
たんに「地域防犯」「地域の力」ということを考えるだけでは、そのマンパワーの浪費が起こってきます。
事件が起こったときだけ人員を大量動員して配置するだけでは、まさにポーズ。悪い例としては、通学路に大人の列をつくって、見た目だけとりつくろった例。地域の力が無いのに集まって何かをしようとすれば、仕方の無い策ともいえますが、本来、最小の人数で最大の効果を挙げる方策は、"死角"をつぶすことのハズです。
もちろん、コミュニティの"死角"以外で起こった事件の例も多いわけですが、そのような例まで完全につぶそうとして人員を大量につぎ込むのも愚策とするべきでしょう。子を持つ親御さんや、被害に遭われた方々の気持ちを思えばあらゆるリスクをつぶすべき、となるかもしれませんが、可能な対策と不可能な対策を考慮しなければ、持続的な活動は行えません。
効率ということを考え、"死角"に人員を配置することを選択したコミュニティもあるとは思います。これも様々な困難はあるとは思いますが、継続可能な活動形態を模索しつつ、ノウハウをためていくことが必要でしょう。
で、無責任な立場からしか言えない意見をここでヒトツ。
子供に自由に遊ばせましょう。んでもって、むしろ、大人からの死角での遊びを推奨。
もっとも低コストで出来る死角対策です。
少子化や、塾通い・テレビゲームなどのせいで外で遊ぶ子供が減ったと言われていますが、それでも多くの子供は外で遊んでいます。今回の広島の事件のニュースには、"ふだんは多くの子供が遊んでいるけれど、今は誰もいなくなった公園"が頻繁に登場していたことが象徴的です。
責任のある親御さん、学校関係者さんなどは反対するでしょうけれど、子供を外で遊ばせることを否定していては、忘れた頃にまた事件が起こる下地を作ってしまうだけではないかと思うのです。
"うさぎ美味し(違)かの山、小鮒釣りしかの川"ではありませんが、山や川を死角にしないためには、そこで遊ぶ子供達の存在は、非常に低コストなマンパワーとして使えます。山や川が無い地域でも、"寄り道をしないように"などと言っていては、"都市の死角"を増やす要因を自ら作り出していると言っても過言ではありません。
当然、子供を外に出すことにはリスクがつきまといます。
しかし、皆が家にこもってしまっては、まさに本末転倒。"死角"となる地域が飛躍的に増えてしまいます。
大人の動員は、持続していくには高コスト過ぎます。「地域の力」とやらも限界はありますし、あらゆる地域で防犯の要とするのにはムリがあります。
100%の安全は無理です。それを自覚しつつベターな結果を求めるならば、そのリスクを負うべきです。
余談。
広島の事件での目撃談の中に、"アパート前に座っていた容疑者"というのがありました。そのときふと思い浮かんだのは、外国を映したテレビ番組などで見る、家の前などに座ってくつろぐ人の姿。日本では、おじいちゃんおばあちゃんが座っていることはありますが、それ以外の人がぼんやりと家の前や公園に座っていると、それだけで不審者扱いされかねません。
目撃談の真偽は知りませんが、皮肉にも容疑者が地域コミュニティのひとつの様式を示していたのかもしれないと思い至り、再びやるせない気持ちにもなったりしてます。
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