« [迷惑カキコ]暇つぶしに サキ | Main | 沖縄キティ高ぇ(^^;) »

2006.01.02

信仰という怠慢

 テレビでBBCのドキュメンタリーをやってるので、何とはなしに見てまふ。

 インドネシアの地震による津波で漂流した男性関連等。

 男性は漂流し、生還したものの、住んでいた島の住民はほぼ全員が死亡。

 それでも、アラーの神を信じるのだそうです。

 何回かこのブログで書いたような気もしてますが、基本的に僕は神なんぞ糞くらえ派です。まぁ、いざって時には「神さま仏さまベルダンディー様ぁあ」と祈るかもしれない、とは薄々感じている程度ですけど(笑)。

(寺社仏閣などを訪れた際には自制を利かせた行動を取るように心がけています。これは宗教心からではなく、あくまでも、その寺社仏閣を管理する人間に対する敬意や感謝の意味からの行動指針です)

 それはともかく、漂流から生還した男性、「多くの人が亡くなったがアラーの意志だ」だとかのたまっておられました。「人間の傲慢を教えるためだ」とか。うーん…大津波で人間をいさめるとは、神もローテクですねぇ。ある意味では、人間が傲慢になればなるほど、大津波なんぞとも感じずにすむような防御策を確立しちゃいそうなんですが。神は人間の防御策のレベルに応じて制裁の方法を変えるのだとでも? 人間が防御策を講じれば、必ずそれを打ち破る超常の力で人間を殺す、と。…人間の常識からいえば、そんな下衆野郎のことは「悪魔」と呼びます。
 この男性、「地震も津波も神の思し召しだ」とのたまう一方、「神は私にとって大切な人間を全て奪い去った」と悲しみ、「神の意志が分からない」とも言っていました。で、「だけど、そのことについては考えないようにしている」とも言ってたり。…考えろよ! 短絡的ではありますが、そのような妄信は、清らかな信仰心ともいえますが、同時に、危険な思想…というより、そのものズバリ…たんなる思考停止です。

「神タマのご意志は人間には計り知れない」ってカンジの言い回しはよく聞きますが、それってつまり、何が"いいこと"で、何が"悪いこと"なのか基準が分からないのに、一方的に賞罰を下されてるってコトっスよね? 人間の神なら、人間に理解できるように振舞ってくれないと困るぢゃないか(^^;)!

 レストランに入って注文したメニューがまずかったら、次からは別な品物を選ぶか、別の店を選ぶのが自然な流れです。そうでない場合でも、あくまで間に合わせ…仕方なく利用することがあるだけでしょう。ですが、こと「神」や「宗教」に関してはそうではないようで。

 たとえ殺されても「神様のおかげ」、幸運にめぐりあっても「神のおかげ」。

 もちろん、神は全てを司っているのですから、当然の帰結。全ての事象が神の存在を証明しているのです。

 …って、なんぢゃそら! 寝言は寝て言え。一部の団体のみが"カルト認定"されていますが、世界三大宗教も完全無欠ではないワケで。

 神が全知全能ならば、わざわざ天変地異で数十万人を虐殺してメッセージを伝えなくても、そもそも人間を傲慢とは無縁の清き存在(傲慢と清き心が相反するものかどうか知りませんが)に作っておけばいいぢゃねぇか。わざわざ人間を不完全で過ちを犯しやすい存在に作っておいて(それも神のご意志ですか(笑)?)、「過ちを犯したので制裁を下しますぅ」って…帰れ、このタコ!

 人間にメッセージを伝える必要があること自体、神の不完全性の証明ぢゃないスか?

 神が、宇宙を作り、地球を作り、人間を作ったとしましょう。その人間が不完全で、神は数十万人をブッ殺してメッセージを伝えてきた、と。

 そんな神なんぞ、欠陥機械、致命的なバグを持ったプログラム、キ○ガイに刃物です。

 よく「神タマの崇高なお考えは、高度過ぎて人類には理解できないのダ」などと言われますが…人類に理解できないと、どんな制裁下したってムダぢゃん?みたいな。

 神や宗教なんぞ、人類の文化資産を生み出すのに役立った"道化"に過ぎません。もしくは、「文化」そのもの。もちろん、神や宗教は「文化」とみなされてはいます(少なくとも別の宗教の視点からは)。でも、そこまでにしときましょうよ。

 宗教による対立、紛争…もうウンザリ。

「神」や「宗教」をキチンと信仰すれば、それらはキチンと機能して、人類により良い未来をもたらすかもしれません。

 でも…こーゆーと何ですが…ある宗教の信者の99パーセント以上は、神のメッセージなんぞ理解していませんし、理解不能でしょう。その宗教の教義さえ、いったい何パーセントの信者が正しく理解しているんだか。そもそも理解したからといってそれが何?
 人に優しくしましょうとか、モノは大切にしましょうとか…そんなもん、宗教ぢゃねぇよ。おかんやおとんが言ってる小言と同じレベルの道徳にしか過ぎないワケで。

 聖典に書かれていることを、そっくりそのままマジで受け取ってる人も、人類にとって無視できないほど多いようですね。それが正しいことだとしても、人類全員が聖典の中身を真に受けるワケないんだから、対立の原因になるだけです。

 宗教や神なんぞ、冠婚葬祭の司会進行と、お祭りの口実(笑)といった役目さえこなしてればいいんです。

 神を敬うことは良いことでしょう。頼ってはダメとか言うヒトもいますが、頼ってしまえ。

 神がいないことを、誰もが納得できるカタチで証明することは困難でしょう。しかし、ありがちな言い方ですが、神がいることを証明するには、神を連れてくればいいんです。それで万事解決です。



「こちらおわすお方が、人類に警告を発するために津波を起こされました神様でございます」

 って、それは悪魔ですから! 残念!!

 悪魔には帰ってもらってください(^^;)。

2006/1/3追記:

 荒ぶる神っつーか、ヒトに悪さをするけど、おだてて機嫌を良くしてやったらご利益があるみたいなのもいますね。それって悪魔と何が違うのだろうってカンジですが。ともかく、そんなヤツなんぞ、知能レベル(神に知能もへったくれもないかもしれませんが)でいえば、ジャイアンとあんまり変わンねぇぢゃねぇか、みたいな。

|

« [迷惑カキコ]暇つぶしに サキ | Main | 沖縄キティ高ぇ(^^;) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 信仰という怠慢:

« [迷惑カキコ]暇つぶしに サキ | Main | 沖縄キティ高ぇ(^^;) »