戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索「渡航」検索結果
該当件数は、430 件です。
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『鮮人職工渡航』 京城日報 1917/5/18(17夕) 〔1/2〕 ・全国 【渡航】
『渡航労働者/調節法通牒』 大阪朝日 1918/10/13 鮮満版 〔3/〕 京城・朝鮮 【渡航】
『内地行鮮人労働者状況/渡航者より帰還者幾分多き現勢』 大阪朝日 1919/3/24 鮮満 〔〕 京城・朝鮮 【調査】
『鮮人内地渡航/九年度末には三万余人』 京城日報 1921/5/27 〔2/8〕 ・全国 【渡航】
『鮮人内地渡航/昨年迄に三万余』 大阪朝日 1921/6/2 鮮満 〔〕 ・朝鮮 【渡航】
『内地も不景気だ/金は転がつては居らぬ/無理に渡航するよりも自宅で働いてゐる方が宜い』 京城日報 1921/6/30 〔5/3〕 ・全国 【渡航】
以下、延々と記事の見出しが続きます。
ちょっと日本に来過ぎでねぇか(^^;)? すでに植民地政策が始まって10年以上がたって、"日帝憎し!"の感情もすごいことになってたと聞き及んでいるのですが。それなのに、一ヶ月に約5000名が自ら渡ってくるとは…。憎いハズの日帝の国に何をしに?
ところで、上で引用した見出しは1921年、1922年のものですが、「強制連行が1939年に始まった」と主張する方もいらっしゃるようなので、1939年以降の見出しも引用させてもらっときましょう。
『今後は結核予防に全力をそゝぐ/内地渡航、むやみにやれぬ/三橋警務局長談』 大阪毎日 1939/5/21 朝鮮 〔5/1〕 ソウル(京城)・朝鮮 【融和】
『署長印を偽造し内地渡航証明書作り/数名に交附して手数料詐取』 大阪毎日 1939/6/29 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『内地渡航の半島人は増加/関屋協和会理事長談』 福岡日日 1939/7/25 夕 〔1/2〕 下関・山口 【喧嘩】
『半島同胞の献金(九年八月大阪に渡航)』 大阪毎日 1939/9/10 朝鮮 〔5/4〕 済州島・朝鮮 【献金】
『渡航証明書偽造団/一味内鮮で検挙/既に数千枚を売る』 大阪毎日 1939/9/17 朝鮮 〔5/5〕 ・山口 【渡航】
『渡航証明書の偽造犯人逮捕』 大阪毎日 1939/9/23 朝鮮 〔5/12〕 下関・山口 【渡航】
『渡航証を偽造して就職詐欺/出前持ボロ儲け』 大阪毎日 1939/9/3 朝鮮 〔5/9〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】
『渡航証明書を偽造し/阜頭でボロ儲け/悪運尽きて遂に御用』 大阪毎日 1939/11/21 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『渡航証明書偽造/首魁二名を逮捕/既に数千円を稼ぐ』 大阪毎日 1940/1/30 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『渡航者の指導機関/慶尚南道内鮮協会を設立/内鮮一体の実を期す』 大阪毎日 1940/2/1 朝鮮 〔5/6〕 ・朝鮮 【渡航】
『下関駅三等待合所内に内地渡航者斡旋所/連日大繁昌、係員汗だくだく』 大阪毎日 1940/2/15 朝鮮 〔5/6〕 下関・山口 【渡航】
『渡航労働者内鮮連絡会議/釜山で開く』 大阪毎日 1940/3/27 朝鮮 〔5/7〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】
『渡航証明書を偽造し一枚五十円で売る/一味検挙に釜山水上署活動』 大阪毎日 1940/4/25 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『職員四名が桟橋で渡航者達の世話/一日から内鮮協会で』 大阪毎日 1940/4/3(?) 朝鮮 〔?/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『朝鮮人内地渡航内鮮問題協議会(於・慶尚南道道庁会議室。京都府からも担当者出席)』 京都日出 1940/4/5 〔〕 ・朝鮮 【渡航】
『委員会制度設置か/渡航労働者や学生監督問題で』 大阪毎日 1940/6/26(?) 朝鮮 〔?/3〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】
『不良渡航者五名送還さる』 大阪毎日 1940/6/7(?) 朝鮮 〔?/8〕 木浦・朝鮮 【渡航】
『内地渡航費詐取』 大阪毎日 1940/8/2 朝鮮 〔?/12〕 木浦・朝鮮 【渡航】
『溢れる内地渡航客/清津と羅津で積残し』 大阪毎日 1940/12/27 朝鮮 〔?/7〕 ・朝鮮 【渡航】
『不正渡航者送還』 大阪毎日 1941/2/8 朝鮮 〔5/12〕 木浦・朝鮮 【渡航】
『半島人の内地渡航制限来月から廃止』 大阪毎日 1945/2/24 〔2/6〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】
『朝鮮人の渡航願ひ/姫路管理部に殺到』 神戸新聞 1945/10/28 〔2/12〕 姫路・兵庫 【帰国事業】
気になる見出しに軽くコメント。
『内地渡航の半島人は増加/関屋協和会理事長談』 福岡日日 1939/7/25
1939年の7月ですが、強制連行するまでもなく半島からの渡航者は増えているようです。出稼ぎでなければ何? フジヤマ・ゲーシャな旅行?
『渡航証明書を偽造し一枚五十円で売る/一味検挙に釜山水上署活動』 大阪毎日 1940/4/25
つまりは、お金を払ってまで日本に雇用(やや誤字)、と?
『不良渡航者五名送還さる』 大阪毎日 1940/6/7(?)
強制連行に血道をあげる一方で、わざわざ送還を? どのように"不良"なのか知りませんが、強制的に連れてきた人よりはよく働いてくれると思うんスけどねぇ。
『朝鮮人の渡航願ひ/姫路管理部に殺到』 神戸新聞 1945/10/28
ん~、朝鮮半島から日本に渡ってきたい人がたくさんいるということ? 終戦後間もなくですが、強制連行された家族を連れ帰るためでしょうか?
ところで、「渡航」で430件の見出しが出てきましたが、「密航」で検索するとどうなるでしょうか?
戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索「密航」検索結果
該当件数は、573 件です。
現在、1件目から 100件目を表示しています。
『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】
『又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】
『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】
『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】
『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】
『ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】
いや、だからぁ、日帝が支配する悪逆非道の国に渡ってくる人多すぎですってば(^^;)。しかも、「密航」してまで…(^^;;)。
この「密航者」達と最初の「渡航者」は、どれくらいの割合で重なってるんだか知りませんが、少なくとも、自らの意思でわたってきた点では一致していると思われます。
『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9
『巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる』 京城日報 1925/5/15
『四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』 京城日報 1925/10/11
『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23
『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17
『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17
『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21
『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』 大阪朝日 1926/4/24
『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4
『密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』 大阪朝日 1926/5/5
『密航鮮人/八十名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)』 大阪朝日 1927/3/3
気になる見出しを全部引用しようかと思いましたが、多すぎるので1939年以降に飛びます(^^;)。
『五百人を密航させ五千円を捲あぐ/密航船坐礁、船長逃走』 大阪毎日 1939/1/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航六十名を一人で逮捕/腕きゝの金刑事』 大阪毎日 1939/5/27
『六十名を乗せ密航船漂流/救助、送還さる(比田勝)』 大阪毎日 1939/6/7
『密航者百廿名送還』 大阪毎日 1939/6/7
『密航ブローカー廿三名検挙/北釜山署の手入れ』 大阪毎日 1939/10/15
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『百十余名溺死(?)の密航船の正体判明/常習ブローカー阿比留も悪運つく』 大阪毎日 1940/1/8
『猟奇!箱詰め密航/釜山の山中で荷造り/小倉駅止で発送/頼まれた朴の細工』 大阪毎日 1940/1/15
『密航者百余名/一人残らず逮捕/巧みに連絡とつて』 大阪毎日 1940/2/9
『密航新戦術二つ/一は帰還勇士に化け/一は内地人の息子に』 大阪毎日 1940/3/12(?)
『約五十回にわたり千名を密航さす/常習の船長ら出帆間際に捕る』 大阪毎日 1940/3/5
『内地密航増加/釜山水上署で厳罰』 大阪毎日 1943/6/15
すんません、やっぱどちらにしろ多すぎです(^^;)。あまりの密航者の多さに、1939年には「全面的検挙は困難」と当局がサジを投げてしまったり、1943年になっても「内地密航増加」で厳罰化が行われて模様です。
ところで、日帝に名前を奪われてたのに、記事見出しに「金さん」とか「朴さん」とかが登場してるのはなんでだろう?
ま、戦前・戦中の新聞なんぞ当てにならん…そんなご意見もあるかもしれません。いちおう、ネットでこんな情報も流れてますよ~、というだけのハナシってことでお聞き流し下さい♪
参考:
周辺領域: 無理が通れば道理が引っ込む
Doblog - 夜のパトロール日記 -
【ザ】密航で来たくせに「強制連行された」とウソをつく在日朝鮮人

「これでは困る韓国」著者:呉善花 /崔吉城
呉「在日の人たちにしても、植民地時代に自分の意志で積極的にきた人のほうが ずっと多いんじゃないですか。強制連行で連れてこられた人たちはほとんど帰ってしまったわけですから。」
崔「そこはいいポイントです。事実はまさしくその通りなんです。ところが、 そうであるにもかかわらず、意識としてはそうじゃなくなっているんです。 自分も植民地のときに強制的につれてこられたのだと、これはアイデンティティ としてそうなってしまっているんです。」
呉「なるほど、意識と実際は違うということですね。」
崔「実際は強制されてきたのではなくても、我々は強制されてきたんだという、 そういう物語をつくってそれを自分の意識としてもつんです。 ここが在日韓国・朝鮮人を考える場合のかなり大きなポイントです。(中略)それで一世たちはそういう物語を二世、三世に懸命に教えるんです。」
呉「なんのために教えるんですか」
崔「民族意識を守り、それを子孫に伝えるためです。」
呉「不思議なことには、アメリカへ行った韓国人は積極的にアメリカ国籍を とろうとしますし、多くの人たちが国籍をほしがります。そういうことで言うと、日本で国籍をとらない者が多いということは、それは日本という国へのこだわりがあるからだと思います。」
崔「そうですね。日本もまた単一民族的な国家ですから、国籍の移動が民族の移動みたいに感じられてしまうんでしょうね。とにかく、国籍を帰ると民族も変わるみたいな意識にとらわれるところが、 在日韓国・朝鮮人を考える際のポイントの一つです。それでもう一つのポイントは、先にも言いましたが、在日は差別されている といいながら、日本人と結婚する率が非常に高いということです。差別があれば、だいたい結婚しないのが普通です。社会的、民族的な差別が 強ければ、必ず結婚差別にも強いものがあって、結婚率が低くなるはずですから。」