「戦犯」も受け入れてこその日本人
先日初めて知ったのですが、教科書から偉人たちが"消えている"そうですね。
なぜ偉人たちは教科書から消えたのか 【肖像画】が語る通説破りの日本史
みなさんは、日本史の教科書から偉人たちの肖像画が消えつつあることをご存じでしょうか。超有名な歴史上の人物たちの肖像が、じつは本人ではなかったという驚くべき事態が、現実に起こってきているのです。たとえば、鎌倉幕府を創設した源頼朝。現在は、ほとんどの教科書からこの頼朝の肖像画は消えてしまいました。「あの源頼朝の肖像画が、頼朝ではなかった」というのは、きっとみなさんも驚かれたことと思います。そうした疑惑の肖像画は、頼朝だけではないのです。あの聖徳太子も、足利尊氏も、武田信玄も、西郷隆盛も、じつは…。
"正しくない"ものなら教科書から消えて当然だとは思います。でも、"正しくないかも"しれないのなら、載せててもいいんじゃないかと思ったり。
ハナシが飛ぶようですが、"めでぃありてらし~"だかなんだかとも関連するハナシだと思うのですよ。
「教科書に載ってるからって正しい情報とは限らない」
このことを学ぶために、「胡散臭い肖像画」は、ある意味良い教材だと思うのですよ。
たとえ「胡散臭い肖像画」でも教科書に掲載して、その脇に「○○さんを描いたとみられる絵」みたいに注釈を入れておくのがベスト。いくつかの肖像画を並べておくのも良いでしょう。
本人をモデルに描いたことが確実に分かっているモノも(100%確実なモノがあるかどうかは疑問ですが)、その時々の時代や、権力者の意向によって、まったく違った絵になるのは当たり前のこと。
そこらへんを学ぶことも、社会の教科の重要なポイントだと思うので、たんにあやふやだからという理由で肖像画を消してしまうことには反対です。
たとえば、歴史上の偉人を描いた歴史小説なり、マンガなり、映画なりがヒットすれば、その偉人さんのイメージは固定されてしまいがちです。
たとえそれが間違っていたとしても。
そういったことを防ぐ上でも、小学生のうちから、
教科書に書かれているからといって本当とは限らない。
もちろん、全てのことが教科書に書かれているワケではない。
テレビで言ってることの全てが正しいワケじゃない。
こういったことを意識できるように教育しておくべきです。
…
ちょっとハナシが飛ぶようですが、いわゆる靖国神社に祀られている"A級戦犯"問題について。
過去の加害の歴史と訣別して歩むために、A級戦犯を分祀…というか、削除(?)しちゃうみたいなハナシも出ているようです。
でもね、A級戦犯として断罪された人も含め、日本人の歩んできた道なワケですよ。
A級戦犯を切り捨てることが過去の反省なのではなく、彼らも日本人であることを記憶に留めておくことこそが、未来に向けて日本人が本当に歩みはじめるために必要なことではないでしょうか。
日本人をだました戦争犯罪人としてA級戦犯を教科書に掲載し(もしくは教科書から消し)、これからの日本人は彼らと全く別の人種として生きていく…そんなんでいいの?と、僕は問いたいです。
靖国神社に祀られている人を神様として崇めなくってもいいじゃないですか。
戦争に関連して死んだ人を追悼する施設が靖国神社でもいいじゃないですか。
彼らも含めて「日本」であり、「日本人」でもある。
いい人だったから追悼OK。戦犯は追悼対象外。
日本がそんな国でいいんですか?
「靖国神社A級戦犯合祀問題」も、つまるところ、情報を受け取る側の問題。
A級戦犯をどっかにしまい込んだとしても、靖国問題が無くなるワケではないことを意識しておくべきででしょう。
根本的な解決に向けて努力することも大切ですが、たんに物事を切り捨てるだけでは何の解決にもなりません。
教科書だって、肖像画を消せば万事オッケー♪とはいかないですよね(^_^;)。
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