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2006.08.20

自分なりの参拝をすれ!

 8月15日に広島の護国神社で行われた慰霊祭での藤本宮司のコトバ。

国のために殉じた人を敬い、善悪、宗教に関係なく祭る靖国の存在の意味に日本人の心がある

 8月15日の首相参拝以降、靖国反対派の本音が出てきたっつーかなんつーか、「A級戦犯が合祀されているから反対」というレベルでの要求からさらに踏み込んだ(てゆうか、もはや全く別問題のやうな^^;)、「なにがどうであろうと靖国参拝反対」という要求が強まりそうな悪寒がします。

 でも、"なにがなんでも靖国参拝反対!"とか"靖国神社の存在さえ認めない!"とかゆってるヒトには、上述した藤本宮司の言葉をよくかみ締めてもらいたいでふ。

「A級戦犯のみが悪。他はみんないい人」などという考え方は、危うさをはらんだ危険な思想です。

 少なくとも、"日本人の心"とは乖離した思想です。

 これは僕の主観的な印象にしか過ぎませんが、日本以外の多くの国…とりわけ朝鮮半島の国や中国では、死者とは「敬う対象」か、さもなくば「軽蔑すべき対象」か、そのどちらかしか無いように感じられます。

 でもね、日本的な感覚でいえば、全ての死者は、ありとあらゆる感情を想起させる存在なワケですよ。尊敬・感謝・鎮魂といった感情もあれば、穢れ(けがれ)・憎悪・恐れといった感情もスパイス(?)として含んでいる場合もあるワケで。
 ともかく、そういった諸々の感情を全て含んだ行為が、"参拝"なのでわないかと。

 たとえば日本には、耳塚や蒙古塚、撃墜されたB29の乗員を供養する碑など、"敵兵"を追悼する場所はいくつかあります。南九州の弥五郎どんや、有名ドコロで天満宮を例にすると分かりやすいかもしれませんが、死者の追悼は、たんに敬うという心情ではなく、"恐れ"から発していることもあります。
(まぁ同様の追悼施設みたいなモンは各国にあるでしょうけど、ここでは日本の例をば)

 死んだ人がこんな人だったから追悼する。

 死んだ人があんな人だったから追悼しない。

 そんなんでええの?

「日本人とはかくあるべき」などと大上段に構えて力説するつもりはありませんが、死者をことさら差別するよーな日本人であって欲しくはありません。

 僕は広島で生まれ育ちましたが、たとえば広島に原爆を落とした爆撃機"エノラ・ゲイ"の乗員の墓の前に立ったとして、その場所にゴミが落ちていれば拾うでしょう。ましてや、ゴミを捨てて帰ろうなどとは思いません。エノラ・ゲイの乗員をことさら尊敬してたりもしませんし、憎しみは無いかと言われればコトバに窮するかもしれません。それでも軽く手を合わせるくらいはして帰るでしょう。

 よく言われる議論のネタとして、「靖国神社の設立経緯がイカン!」ってのがありますね。

 でもね、設立経緯にケチを付け始めたら、寺や神社、その他イロイロ…あちこちつぶさなきゃならなくなるんじゃないッスかね?

 僕はこんなサイトなんかを運営していく中で、戦争の金属供出で消滅してしまった大仏等を知りました。明治政府の神道国教化政策で数多くの寺がつぶされ、数多くの歴史的遺産が消えてしまったことも知りました。

 なので、ヒトツの象徴として、靖国神社の存在はうとましくさえ思える時もあります。

 だからといって、靖国神社をつぶそうなどとは思いません。

 靖国参拝反対派の人達は、靖国神社や、もしくは近場の護国神社にでも行ってみてください。

 そして、そこで手を合わせてみて下さい。

 自分が憎く思っている対象に手を合わせることが出来ない人は、自分の中に"偏狭なナショナリズム"が存在していることを認めるべきです。

 首相の靖国参拝に反対している人こそ、靖国に参拝すればいいかもとか思ったりもします。

 手を合わせて、「これから先、靖国神社に合祀される人を出さないことを誓います」と祈願すればいいだけのハナシです。
 靖国の"英霊"達も例外なくそれを望んでいると思いますし、靖国参拝をする首相や政治家だって同じ思いであると想像しても、それほど的外れでないと思います。


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