命の扱いはドライにクールにシステマチックに…
作家坂東眞砂子さんの子猫殺しエッセーが批判をあびているようですね。
子猫殺し:直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
野良猫対策としての避妊手術は認めているが、「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない」との論を展開。「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」と結んだ。
個人的な心情として何を考えようと自由ではありますが、これを新聞に載せるエッセーとして書いた坂東さんと、掲載した日経新聞も、ちとアレなカンジではありますね。「ホラー作家」としてのハクを付けるための行為なのかな?とまでは思いませんが、このような行為を告白する意図が見えない不可思議な事件ではあります。
まぁ、坂東さんが、自分でエッセー本とかを出版して掲載するのなら、まだ理解できないでもないですが…。
(個人的には、タヒチがフランス領であることが一番ワケ分からんのですが(爆))
それはそれとして、「命をなんだと思っているのか!」「母猫の母性を踏みにじるのか!」みたいな批判の仕方は、どうも的ハズレというか何というか…薄っぺらいような印象を感じています。
猫を飼うならば、一番の問題は、「室内飼い」にするか、出入り自由の「放置飼い」(?)にするかだろうと思います。
個人的には野良猫は大好きで、見つけるとついつい写真を撮ったり、必ず近寄ってコミュニケーションをとろうと図ったり(爆)しちゃいますが、それでも、積極的に野良猫を増やすような行為には反対です(エサをやる。避妊してない飼い猫を外に出す等)。
「動物だから野生がどーのこーの」とかゆわず、「人間にとって都合の良いペット」として猫を扱うべきです。そのためには、少なくとも「飼い猫」は全て、人間の完全なコントロール下に置くべきです。
もし"野良猫にエサをやったり、出入り自由の飼い猫を飼っているあなた"が、道端で車にひかれて死んでいる猫を見つけたら、それは"あなたが殺した"ことになるのだと考えてください。
坂東眞砂子さんがいったい何匹の猫を殺したんだか知りません。でも、遠からずあなたは、坂東さんが殺した以上の数の猫を殺したことになるでしょう。
あと、日経に載ったエッセイの"犯行現場"はタヒチなんですよね? タヒチに古来から猫がいたのかどうか正確には知りませんが…たぶんいなかっただろうと思います。猫を放し飼いにすることで、タヒチの原住生物に被害が出ないかどうか気になります。
猫に避妊させるかしないか・子猫殺しは悪かどうかという問題よりも、純粋に「問題の大きさ」という視点からみれば、こっちのほうが大問題かも。
別の生物にくっついて移動して生息範囲を広げるのは、生物の歴史の常套手段です。しかし、地球ではなく、人間の視点から見れば、そういった伝播はコントロールして防いでいくべきでしょう。
…
ところで、看護師らに助産行為をさせていた病院が問題になってますね。
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - 助産行為 「法律には限界ある」堀病院長が開き直り
「法律に基づいてやるには限界がある」。保健師助産師看護師法違反容疑で神奈川県警に家宅捜索された堀病院の堀健一院長(78)は、同県警の調べに、看護師らに助産行為をさせていたことを開き直って認めた。同病院の助産師数は同規模の病院より極端に少ない。厚生労働省は「助産行為は医師と助産師しかできない」との見解だが、公然と反旗を翻した格好だ。
違法行為をしていた病院への批判が集まるのも当然ですが、僕がちょっと引っかかったのは、「助産師」という職種名です。
看護師資格取得後、助産師学校等の助産師養成校で最低6ヶ月以上の教育を受け、助産師国家試験に合格することで助産師免許が与えられる。
Wikipediaの記述を見ると、「助産師免許」があれば、「助産院(助産所)」を開業することも可能となっています。「看護師資格取得+6ヶ月以上の教育」ということですし、それほど容易く取得できる免許ではないということでしょうか。
ところで、問題となっているのは、出産という需要に応えられない供給(病院)側。
解決策の候補のヒトツは、助産行為の敷居を下げること。
様々な職業で、必要に応じて訓練を受けて取る資格があるじゃないですか(タクシーの第二種免許・倉庫などで使うリフトの免許・危険物取り扱い資格等々)。助産師の免許にしても、なにも開業できるほどの教育は不要なんじゃないかと思うワケですよ。
助産行為も技能のヒトツとして、必要な技能を短期間で修得できるようなシステムを作り、病院がバックアップして、その技能資格を看護師に取得推奨させていくべきではないかと。派遣社員でもないですが、助産師の資格を持ってれば、給料がちょっぴり上がるとか。
島根県隠岐の島町にある隠岐病院で産婦人科医が確保できず、隠岐島内で出産することができなくなった。島に住む妊産婦は今後、松江市など本土の病院で出産しなければならなくなる。
命を扱う職業であるからこそ、技能と共に倫理観などをしっかりと教育していかなければならないということは分かります。ですが、必要なものを供給できないようでは、本末転倒です。
幹となる部分はしっかりとした教育課程を経た人間で支えることが必要です。しかし、支えきれない部分の業務で、ある程度の訓練で出来るようになるものがあれば、それは別の人間が担当していくことも可能なハズです。
「助産師」も、1948年に「助産婦」と改称されるまでは、「産婆」だったそうです。
きちんと登録された産婆さんが、どれだけの技能を持っていたかは知りません。しかし、現在の助産師よりも、確実に"敷居"は低かっただろうと思います。
そして、きちんと登録されていない産婆さんも、おそらくは多数活躍されていたことでしょう。
資格も無く、きちんと教育・訓練を受けたことのない産婆さんでも、現在の「助産師」以上のレベルの方はいらっしゃっただろうと思います。しかし、少なくとも、平均レベルは、現在の「助産師」以下でしょう。助産経験数などは多くとも、正確な知識に基づいて出産に立ち会っていたワケではないでしょう。
現在は、出産にも多数の精密機器や設備が必要でしょうし、たんに助産師の不足だけを解決すれば済む問題ではないにせよ、"需要"に応えられるようもっと"ドライなシステム"の構築が必要なのではないかと思いますた。
まぁ、今回の堀病院の事件については、病院のサイトで「出産数日本一」をPRしていたそうですから、売名行為のため…つまりは利益のために、ムリな体制で助産行為を行っていたと批判されても仕方ないでしょうけど。
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