Yahoo!映画 - 映画館検索結果 「硫黄島からの手紙」
クリント・イーストウッド監督の硫黄島二部作の第二作「硫黄島からの手紙」を観てきました~。初日だし、土曜日だし、もうちょっと人が多くてもいいんでないか?とか思いましたが、人数こそそれほど多くないけれど、お年寄りから若者まで色々な世代のお客さんがいたのは面白い状態なのかも。
それはともかく、映画の出来。
日本側を描いていたから、という贔屓目はあるにせよ、僕的には、「父親たちの星条旗」よりも感銘を受けました。
それは、たんに日本人を描いていたから、というだけでなく、映画のツクリがより明快でストレートなモノだったからです。
参考:映画寸評集(ち)(ネタバレを避けた寸評集です)
「父親たちの星条旗」の星条旗は、英雄に祭り上げられた兵士たちを描いていましたが、息子視点からのアプローチがほとんど無かったため、なんだかモヤモヤが残りました。
また、戦争の無益さも描いてはいましたが、けっきょくは一兵卒の苦悩を描くに留まっている部分もあったため、その部分でも不完全燃焼感はありました。
そのため、実は「硫黄島からの手紙」も、やや出来に不安を持っていたのですが、その不安は杞憂に終わりました。
ひたすら、目の前にある"仕事"と苦悩とに向き合い続けた兵士と家族達。
その姿を、「父親たちの星条旗」の時のような取ってつけたようなフラッシュバックではなく、より自然な"たんなる"回想シーンを交えて構成していたことはヒトツの成功だと思います。「父親たち~」のほうは、たんなる回想シーンではなく、時系列を意図的に交錯させるようなツクリだったため、どうも散漫な印象になっていました。しかし、「硫黄島~」の回想シーンは、ほんとに"たんなる"回想シーンの挿入。ベタなホメ言葉ですが、まさにシンプルイズベストです。
難点を挙げるならば、前作「父親たちの星条旗」が"父親たちの"という部分があまり表に出ていなかったことと同様、「硫黄島からの手紙」も、"からの手紙"の部分がどうも弱かったあたりでしょうか。いちおう劇中でたびたび手紙を書いている場面は出てくるのですが、もうちょいうまく映画のスパイスとして使えなかったものかと思う次第です。
まぁ、そこらへんは「父親たちの星条旗」のときほどは気にならなかったので些細なことでしょうか。
パンフレットを読むと、まぁしょうがないか…とは思いますが、二宮和也くんが若過ぎることにくらべればホンマ些細なことです(^^;)。
「父親たちの星条旗」も「硫黄島からの手紙」も、もっとも刮目すべき点は"Based on a true story"ということ。
ここらへんも贔屓目になりますが、「父親たち~」では、あくまで一兵卒を描いていたため、叙情的・感傷的なアプローチが容易ではありました。しかし、「硫黄島~」での栗林中将やバロン西あたりは、史料こそ多いかもしれませんが、内面を描くことはかえって困難だったのではないでしょうか。
ネタバレにはあたらないと思うあたりで、映画を観る前に知っておいたほうが良さそうなことをいくつか書いておきます。
栗林忠道 - Wikipedia
栗林忠道は陸軍中将。陸軍と海軍は仲が悪かったり。中村獅童演じる伊藤中尉は海軍なワケです。
栗林中将が家族にあてて書いた手紙は、イラスト付きの絵手紙。映画中でもいくつかそーゆー場面があります。
「アメリカに住んだことがある」とゆー栗林忠道。作品中では具体的には年数などの言及が無いですが、陸軍大学校卒業後、昭和3年から昭和5年にかけて留学。ワシントンやボストン、テキサス州やカンザス州に居住。自ら車を運転して大陸横断までしたとのこと。これも作品中では言及されていませんが、昭和6年から昭和8年までは、駐在武官としてカナダで暮らしていたそうです。
西竹一 - Wikipedia
バロン西こと西竹一は、僕は映画を観た後で知りましたが、ホントに男爵(バロン)だったとのこと。ロサンゼルス滞在中など、アメリカの映画俳優とも交友があったとのこと。
彼が1932年のロサンゼルスオリンピック馬術大障害飛越競技で金メダルを取った時の愛馬ウラヌス号のたてがみ(玉砕時に持っていたと言われるもの?)が、本別町歴史民俗資料館に展示されているそうです。これは行かねば!
二宮くん割合が高い作品ではありますが、栗林忠道と西竹一という、二人の史実には胸を打たれました。さすがに、映画での多くの振る舞いは創作なのでしょうけれど、それを差し引いても余りある史実がそこにあります。…栗林中将の「ですます調」の話コトバ…英語でニュアンスがアメリカ人に伝わるのかどうか心配~(^^;)。
今回の硫黄島二部作、僕的には「父親たち~」にはやや不満がありましたが、それでもこの二部作が"成功"しているなと思ったのは、二つの作品が、それぞれ基本的にアメリカ人のみ、日本人のみを描いていた点です。これが、ヒトツの作品の中で双方を描こうとすると、非常に散漫な印象の映画になっていたでしょう。そして、「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」の、それぞれの"違う色"を味わうことも出来なかったでしょう。
硫黄島二部作を世に出してくれたクリント・イーストウッド監督に感謝します。
硫黄島に行きたいと強く思うけれど、同時に僕のように興味本位の人間が行ってもいいものかどうか迷うのも事実。リゾート開発まではいかなくとも、開発されていく硫黄島ってのも、なんだかビミョウなカンジがしますし。
でも、少なくとも、多くの人に硫黄島での戦いのことを知って欲しいなと思いますし、そのために、この硫黄島二部作は良い"材料"になってくれそうに思います。別に靖国に行く必要は無いにせよ、年に一回くらいは戦死者のことに思いをはせてもいいんでわないかと思ったりするワケで。
(硫黄島には一般人は上陸出来ないそうですね。船で周囲まで行くツアーならあるようです)
…
そうそう、忘れそうでしたが、中村獅童(爆)。
さんざん暴れ回った挙句、後半では映画史上類を見ない放置プレイをかまされるといふ扱い。なんか、現実の獅童の現況を重ね合わせると、涙ナシには見れませんでした(^^;)。
いえ、もちろん、あれが獅童でさえなければ、パンフの獅童のインタビューの項を読むと分かるように、非常に重要な役だったと素直に納得できるんですけどね~(^_^;)。
なにげに、二宮クンの奥さんが裕木奈江というのもポイントかも? 後でパンフを読んで知ったワケですが。どっかで見たよーな…とは思いましたけどねぇ(^^;)。いやいや、いい女優さんになってますよ。これからもガンバレ!
追記:
「子連れ狼」に硫黄島で戦った人々に通ずるやりとりがあったので引用。
「干城(かんじょう)という言葉をご存知か!」
「干は楯の意 あるいは武士(もののふ)をあらわそう……」
「いかにも!干は城を守る楯! これ臣たる者の道! 行先が落城とわかっていても武士たる者は楯を捨てず城と枕をともにして討死するが道と心得申す!」
幕府の陰謀で取り潰されそうな藩の依頼に応じた刺客子連れ狼こと、拝一刀。一刀は、今回の危機を乗り切っても、幕府側は次の手を仕掛けてきて、いずれ抗しきれなくなるだろうと語る。それを聞いた依頼主でもある藩の家老が述べたのが、上の「干城」についてのセリフです。
映画を観ると分かりますが、栗原中将はまさに上記の「干城」の心意気だったかもしれませんが、二宮くんなど一般の兵士からしてみれば、理不尽きわまりない戦いだったでしょう。
だけれど…だからこそ、彼らが戦ったこと、その事実を受け止めて忘れないようにするべきだと強く思います。