「死刑」の是非はともかく…
宅間は反省するどころか公判でも遺族に暴言を吐いたりした。「死刑にしてほしい」と訴え、大阪地裁による死刑判決に対して弁護団がした控訴を自ら取り下げた。そして、普通なら宣告から15年ほど経ってから執行される死刑が、宅間の場合は判決の約1年後に執行されたのだ。私はこういう場合において、死刑を「逃げ」と感じる。
おそらく、このオーマイの記者さんは心優しい人なのでしょうけれど、その優しさは残酷さと表裏一体なのだなぁとか思ってしまいました。
死刑囚に恐怖を味わわせることが「死刑の最大の目的」なのでしょうか?
死刑囚に恐怖を味わい尽くさせることが必要なのでしょうか?
この記者さんは、そんなことを考えてはいないのでしょうが、早々と死刑執行されてしまった宅間に対して、「逃げ得」であると感じているようです。
アメリカでは、静脈注射のほかに絞首刑や銃殺刑、ガス室、電気椅子などの処刑方法が使われている。しかし、大半が静脈注射だ。NGO(非政府組織)「死刑情報センター」(本部・首都ワシントン)によると、1976年に米連邦最高裁によって死刑が再開されて以来1056人が処刑されているが、内訳は注射が887人とずば抜けて多く、次いで電気椅子153人、ガス室11人、絞首刑3人、銃殺刑2人となっている。
注射による死刑は、非常におおざっぱに言ってしまえば、「安楽死」に近いもののようです。「天」に出てきたアレみたいなモンのようで。
1:意識を失わせる薬物を投与
2:体を麻痺させる薬物を投与
3:心臓発作を起こす薬物を投与
こんな方法。
「安楽死」ならば、ある意味「逃げ」としては最良の方法であるとはいえるでしょう。
(記事中のような不手際をカバーできるシステム整備が前提ですが)
日本は死刑を法定刑のひとつとして位置づけている国家であり、その方法は絞首刑と規定している。
人によって感じ方に差はあるでしょうけれど、絞首刑や電気椅子よりは、注射による死刑のほうが残酷さという点では良心的(?)なように思います。最期くらいはベッドで静かに死なせてやれよ、っつーかなんつーか。
「死刑」とは、「死」を与える刑なのか、「恐怖」を与える刑なのか。
「死刑への恐怖」が犯罪の抑止力になってるとかゆーハナシもあるようですが、これは一方では、死刑廃止論者側の有力なネタにもなりそうです。
死刑方法が残虐で苦痛をともなうものであればあるほど、「死刑への恐怖」は高まります。ですが、その場合、死刑廃止を望む世論も多くなるのではないでしょうか。
「バキ」によると、どこやらの国では、「鞭(むち)」で刑罰が行われているそうです。罪の種類・重さによって、鞭打ちの回数が定められているのですが、けっきょくは打たれ終わった後にはみんな死んでしまうのだそうです。
被害者感情やらなにやらを考慮したり、死刑囚に恐怖を味わわせるために、鞭打ちの回数を増やすのもいいでしょう。でも、それが、どんなメリットを社会にもたらすのか、いささか疑問。
あ、この刑については、出典が「バキ」なんで、信憑性は「民明書房」レベルでお願いします(爆)。あくまでも、「死刑」や「死刑による恐怖」の必要性を考える上での、一つの寓話ということで(^^;)。
Website Statistics and Traffic Graphs comparing j-cast.com and ohmynews.co.jp
にしても、オーマイさんのPV苦戦ぶりは、かなり末期っぽいのかも?
ここ一週間の下落振り、J-CASTニュースと比較してみると、かなりヤバげなカンジ(^^;)。
まぁ、悲観的にならず長期的な視野で見て、もうちょい頑張ってもらいたいものです。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- ツイッターは良くも悪くも、たんなる「さえずり」である(2011.03.12)
- マニフェストは金科玉条…?(2010.06.09)
- 沖縄県民大会の意義ってなんなんだろう…(2010.04.29)
- コンテンツと作者は不可分な面もあるのでわ?(2010.02.12)
- Apple iPad 〜 なにか違う方向も見えてくるような…(2010.01.28)
The comments to this entry are closed.
Comments