(cache) 貝原前知事も反論 震災対応への石原発言
石原慎太郎東京都知事が、阪神・淡路大震災時の首長の判断が遅かったため自衛隊の派遣要請が遅れ、犠牲者が二千人増えた-などと発言したことに対し、当時、兵庫県知事だった貝原俊民氏が二十六日、「首長の判断が遅かったからではない」と反論する手記を公表した。
「石原2000人発言」(?)に対しての反論第三弾(第一弾井戸兵庫県知事、第二弾TBS筑紫哲也)がきました。たしかに「2000人」って数字には疑問符が付きますが、はてさて、その反論の中身は?
自衛隊は災害に備えて常時待機しているわけではなく、出動には一定の時間が必要と指摘。発生直後、午前八時十分に初めて自衛隊と交信できたが、その後途絶えたため午前十時の要請になった。警察や消防からは「全容不明」という断片的な情報しか入らなかったと振り返った。
断片的な情報しか入らなかったってのは、いったい何の言い訳でしょうか。兵庫県がもっとそのあたりの体制をしっかり構築しておけば、もっと情報が入って自衛隊の出動を早められたということでしょうか? ってゆうか、それだと自分の非を認めることになっちゃうやうな…。自爆?
また、消防など公的機関が救助したのは全体の5%足らずとのデータを紹介。救助活動の多くは家族や隣人によるもので、自衛隊など公的機関の救助力を誇張し過ぎれば住民の自助共助が軽視されるとくぎを刺した。
ここらへん、統計データをどう解釈して、どういう施策を実行するかは、受け取り手次第ということがうかがえます。
公的機関が救助したのが「5%」というのが、どんなデータなのか分かりませんが、この数字を見て、「住民の自助共助が大切」と結論付けるのは、まぁ妥当な解釈のように思えます。
でも、行政の長としては、「公的機関が5%しか救助できなかったのは、体制に不具合があったからかもしれない。もっと多くの人命を救えるよう、体制をチェックして改善しよう」ということも考えるべきではないかと思うわけで。
その意味では、石原都知事の「自衛隊出動が遅かったから」というのも、震災の教訓を活かしたヒトツの妥当な対応策だと言えると思います。
「5%」しか救えなかったと言ってしまうとアレですが、驚異的な数字だとも言えると思います。基本的に、消防や救急の体制規模は、大震災のように都市・地域がまるごとブチ壊れてしまう事態に対応するほどのモノにはなっていないと思います。それなのに、自らも被災者でありながら、「5%」もの人命を救ったのです。さらには、統計の数字には出にくいけれど、住民の自助共助ではどうにもならない仕事を数多くこなしていたワケであり。
井戸敏三兵庫県知事も言っていますが、犠牲者の多くは圧死だったそうです。倒壊した住宅に押しつぶされた人が多かったのならば、住民の自助共助ではどうにもなりません。公的機関が重機を派遣するなどしなくては、救助も遺体の発見もままなりませんが。
(cache) asahi.com:震災時の兵庫県知事、東京都知事「2千人余計に」に反論 - 関西
「阪神・淡路大震災の教訓」と題した冊子で貝原氏は、地震直後について「県庁は通信システムや災害対策の部屋が壊れ、情報空白、交信途絶の状態だった」と説明。「自衛隊の本格出動には一定の時間が必要で、ようやく出動できる状態になったのは(県が派遣要請した)午前10時ごろ」とし、「当時の状況の中で最善の対応をしたと自負していた」と記した。
あのー、貝原元知事さん、これも自爆発言なんぢゃ…。県庁の通信システムなどが壊れてお手上げ状態だった…って、それ、まぎれもなく兵庫県の…ひいては、貝原元知事さんの不手際ぢゃないですか。当事者である貝原俊民知事(当時)さんが、災害を想定して対策をたてておけば、そんな情報空白の状態なんぞ発生させずにすんだかもしれない、ということですよねぇ。
大都市東京の心配をしておられるようですが、自分こそ、県庁が直接被害を受けるような事態への備えを怠っていたことをお忘れなきよう。
(cache) 石原・都知事の阪神大震災発言=小園長治(豊岡支局)-記者の目:MSN毎日インタラクティブ
自衛隊派遣要請が遅れた最大の理由も、通信機能のマヒだ。午前7時ごろに県庁入りできた私は、官舎の貝原さんから指示を受けた職員が、懸命に自衛隊と連絡をとろうとしている姿を見ている。初めて交信できたのは、午前8時10分。ただ、被災状況が不明なため、出動準備だけを依頼しており、正式な「出動要請」は、姫路市に駐屯している陸上自衛隊第3特科連隊と電話が通じた午前10時となった。
(中略)
もっとも、石原知事ならご存じだろうが、自衛隊は、自己完結型の出動が鉄則だから、出動準備に数時間はかかり、大規模になればなるほど、現場展開までに時間を要する。だから地震発生直後から、自衛隊の災害派遣部隊が組織だって救出活動にあたるというようなことは困難で、期待してはいけないのだ。
毎日新聞の小園長治記者も自爆気味の記事を書いておられますね。
小園記者の記事によると、「兵庫県警の検視によると、83・7%が家屋の下敷きになった圧死や窒息死。ほとんどが、ほぼ即死状態で、ドーンと揺れてから15分以内に亡くなっていたと分析されている」のだそうです。つまり、地震発生から15分後(午前6時)には、すでに多くの家屋が倒壊し何千人も即死しているという、とんでもない被害が発生していたことを示しています。
それなのに、貝原知事の命を受けた兵庫県職員は午前8時10分の段階で、自衛隊に対し、「出動準備だけを依頼」というグダグダな対応しか出来ていません(そんな連絡を受けるまでもなく、自衛隊は出動準備をしていたことでしょう)。小園記者は貝原前知事をかばうつもりのようですが、むしろこの記事からは、当時の貝原知事の対応に不手際があったことが読み取れます。
「自衛隊は災害派遣には向かない」という現状分析は、まぁ分からないでもないです。でも、それは現状分析でしかない。
現状のシステムがダメなら、もっといいシステムに改善するべきです。マスゴミさんは現状維持が仕事なのかもしれませんが(苦笑)、行政の長には、より良いシステムづくりを常に目指してもらわねば困るワケで。自衛隊の災害派遣がスムーズに行えるようシステムを見直すというのも、検討すべき方策のヒトツですよね。
自衛隊の役割を増すことに賛成反対、色々な意見はあるでしょう。しかし、災害時における自衛隊の活用方法は、常に議論しておくべきことであるハズです。
そして、自衛隊の活用(事後策)と耐震対策(事前策)は、相反する活動ではなく、むしろ両立していくべきものであることは論ずるまでもないことのハズです。
追記:
震災発生後15分以内に圧死した人が多かったから、いったいなんだと言うのでしょう。それは震災後に情報を整理して判明したことです。震災発生後、火災は長い間続きましたし、多くの場所で建物やら何やら倒壊していました。そこから救出された人も数多くいたワケです。
「2000人」だと豪語する石原都知事もアレですが、兵庫県の知事は今も昔もアレですね。
蛇足。
あまり関係ない上にウロ覚えなハナシではありますが、たとえば広島の原爆で亡くなった方の死亡日時は、原爆投下日時と同じ「8月6日8時15分」になっていることが多々あるのだそうです。これは、死亡日時が調査で判明したからではなく、遺族などが「故人が苦しんだ時間は短いほうがいい」として、その日時にしたんだとか。
戦後にはそういった「不正確なデータ」が入り込む余地は少ないのでしょうが、ちょっとそんなハナシを思い出したりしています。
参考:
韓国より遅れて対策本部作った村山-貼る・ノート:イザ!
震災記録写真(大木本美通撮影):時系列版
追記:
(cache) 時事ドットコム:貝原前兵庫知事らに旭日大綬章=4037人に春の叙勲
( ゚д゚)ポカーン