「少林少女」日本的な味付けが裏目に?
なんつーか、本広監督作品とは思えないほどのグダグダな映画でした。いや、本広監督だからこそかな。
人によって評価は分かれるでしょうけれど、僕的には悪い意味でグダグダな作品だと感じられました。
色々とグダグダの原因はありますが、やはりラクロスのことは言及しておっくべきでしょう。率直に言って、ラクロスはオマケです。
正確に言うと、ラクロスがオマケというよりは、作品全体からすれば、主人公が少林寺拳法を学んだことすらメインテーマになりえていないという状態。
メインテーマは、主人公の少女の精神的葛藤と成長、ってあたりでしょうかね。
別に、それはそれでいいと思いますし、この作品を観たヒトも、それがメインテーマになるであろうことは予想しているでしょう。
しかし、その予想の中身ってのは、おおまかに言うと、「少林寺拳法を活かしたダイナミックなラクロスシーンの合間に少女の成長も描く」というモノのハズ。
終盤は良かったです。柴咲コウたんのアクションシーンや表情に胸キュンで萌え萌えでズキューンなカンジでもー最高。必要以上に仲村トオルがすかした演技してるのもマル。
だから思ったワケですよ…
この映画、ラクロスシーン無くしたら、もっといい出来になるんじゃないの?
ってね(滅)。
あと、チャウ・シンチーがどれだけこの作品に関わっているのか知りませんが、あいつの作品はグダグダ感が売りとはいえ、日本の映画界ではシンチー要素を制御しきれなかったんだろうなぁとか思ってみたり。
「踊る大捜査線」のような成功例があるせいなのでしょうが、コメディやエンタテイメント要素を基本として客を楽しませながらもシリアスなテーマを盛り込むという、日本的な味付けやヒネリも敗因かと。
ヒネリや個性なんか不要ですから、"ヤクザに地上げにあってる老舗ラーメン店を救うために少林少女が立ち上がる!"みたいなハナシにしとけよ、っつーのが正直な感想です。
かなりのトレーニングを柴咲コウさんは積んだそうなので、せっかくですから、またカンフーやらアクション系統の作品に出てもらいたいでふ。
どうでもいいですが、パンフや映画紹介サイトに「吹替なしでアクションに挑戦」とか書かれてるのが無性に気になります。
単純に「スタント」とか書いてくれたほうが通りがいいと思うのですが、いわゆるスタント無しのことを「吹替なし」って言ったりすることもあるのでしょうか?
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そうそう、ぜんぜん小林少女と関係ないですが、映画館に貼ってあったランボーのポスターを見ていて、不安な要素発見…。上映時間が「90分」って書いてあるんスよ。一概には言えないものの、興行的に成功しそうにないイマイチな作品は、シーンが削られてる率が高いように感じますよね~。
ランボー最終作なら、たとえ出来が悪くても、いっそのことLOR並みに180分ぐらいで上映して欲しいのですが(爆)。
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