「韓日合邦」を持ちかけたのは韓国だった。ソースは韓国の新聞サイト
「網も張る前に魚が飛び込んできた」--。1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。
それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。
この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。
「まず合邦を打診したのは朝鮮側だった」とのことです。ソースは韓国の新聞のサイトなりよ。
発行部数200万部以上で、韓国の三大紙のヒトツとのことです。
もちろん、「韓日合邦」は、当時の朝鮮半島の方々全てが納得したハナシではないでしょうけれど、100%の賛成など全盛期(?)のイラクや北朝鮮でもあったかどうか。
A.自主独立
B.日本と合併
C.清と合併
D.ロシアと合併
当時の世界情勢の中において、朝鮮半島の統治者やその支持者たる国民が行ったのが「韓日合邦」だったということなのでしょうかね。
「合併に反対していた人も多かった!」ってな声もあるかもしれませんが、たとえば日本で「俺は自民党に投票した。だから民主党がやったことについて責任を取る気は無い」なんて言ってる人がいたら…ちょっとどうかと思いますよね。
民主党がやったことだろうと自民党がやったことだろうと、日本国民はそれに対して責任を感じる責任があり(ニポンゴおかしいw)、それは朝鮮半島の国の方の側にも同じことが言えるワケで。
両国が合意して調印して行われたのが「韓日合邦」であった。
そういう方向からも考えてみることで、朝鮮半島と日本列島の間のしこりが小さくなることもあるんぢゃないかと思ってみたり。
韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号)
日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ両国間ニ併合条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為日本国皇帝陛下ハ統監子爵寺内正毅ヲ韓国皇帝陛下ハ内閣総理大臣李完用ヲ各其ノ全権委員ニ任命セリ因テ右全権委員ハ会同協議ノ上左ノ諸条ヲ協定セリ
第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス
第二条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス
第三条 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス
第四条 日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ各相当ノ名誉及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス
第五条 日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナリト認メタル者ニ対シ栄爵ヲ授ケ且恩金ヲ与フヘシ
第六条 日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ全然韓国ノ施政ヲ担任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及財産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルヘシ
第七条 日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓国ニ於ケル帝国官吏ニ登用スヘシ
第八条 本条約ハ日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
右証拠トシテ両全権委員ハ本条約ニ記名調印スルモノナリ
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