お金がばらまかれたと仮定してみよう…と思ったけどやめたw
原発事故で、放射性物質がばらまかれたと考えると、その危険性の評価云々で紛糾しがちなようなので、「お金」がバラまかれたと仮定してはどうだろう。
(復興資金がどうこうという話でなく、原発が爆発して放射性物質が放出されたのでなく、小銭やお札が空中にぶちまけられたと仮定するというヨタ話)
たとえば、福島原発の事故ったそれぞれの炉などから48万テラベクレルの放射性物質が放出された、ってのを1ベクレルに1円として、考えるということで、えーと、48京円?よくわからんw
汚染された食べ物を食べて「1日あたり1ベクレル体にたまる」と言うとなんか体に悪そうだけど、1円ずつ貯金箱にたまると考えればいくらためてもたいして貯金の形成に影響が無さそうな気がしてくる。
埋め立てる場合、キロあたり100ベクレル以下の汚染物を埋めるってぇ話だと、いくら埋めても「キロあたり100ベクレル以下」という事実は変わらないので、何トン埋めても何の変化も無さそうだけど、1キロ土砂を埋めるごとに貯金箱に100円増えていくと考えると、埋め過ぎるとなんか変化が出てきそうにも感じてくる。
だから何だ?という気がしてきたので、今日はこれぐらいにしといてやらぁ(爆)
いえ、「放射性物質」だの「汚染○○」だのというと予断が入って正常な議論を歪めてしまいそうなので、価値観を「正」のものに逆転させて、「お金」で表現すれば、違う見え方をするかなぁと思ったんですが(^^;)。
年間100mSV以上の被曝から影響が出てくる。いや、閾値は無い。みたいな論争も、1円玉が2、3枚落ちてても人は拾おうとしないが、100円硬貨ぐらいから多くの人が拾い始める、みたいな話にすればもうちょい違うんじゃないかなぁと思ったけど、これも無茶(爆)
あと、「出来る限り被曝は少なくする」みたいな話を、上記のように被曝の度合いとかをお金に置き換えたらどうかとか。
「どれぐらいお金を拾った時点で得をしたと考えるか」という意見が出てきて、それをお金から被曝の度合いに単位を戻してやれば、得をしたと思った金額=自分が損をしたと思った被曝度合い、みたいな話にならないかなと思ったり。
俺は50円玉を拾うと得をしたと思うね=年50mSvの被曝で損したと思うね、みたいな。
で、世の中には1000円、1万円拾ったぐらいじゃ得したと感じない人もいるなという話とか云々
我ながら与太話だったw